【ホンダ MVX250F】って知ってます? [history]
Forza もうすぐ 10,000km(一万キロ) [history]
Forzaの納車は、2008年10月21日。
もう少しで1年半。
でも、注文したのは2008年7月19日。
家から一番近い夢店、ホンダドリーム高浜(通称タカホン)で。
マットシルバーのボディー、赤色が入ったシートの限定車が欲しくって…。
3ヶ月間待っちゃいました。
〈納車して初めての土曜日〉 こんちわぁ、顔出しちゃってます。(・。・)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Forzaが来るまでは、2005年6月に【クインキBTL150】ていう
怪しげな台湾製のスクーターをヤフオクで購入し、25年ぶりのリターンをしていた。
〈コイツがクインキBTL150〉Forzaと格が全然違う (;一_一)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Forza購入の理由は…
1.この世で頑張って半世紀のあいだ生きてきたご褒美。みたいな~。(^-^)
2.クラッチ操作のないスポティーなスクーターが欲しかった。
3.車検がなくて高速道路を走れるバイクが欲しかった。
だいたいこんな感じかな?
乗り始めて半年間は、月に2~3回ホントに近場を流すだけだった。
納車が10月末で寒くなっていく季節だから無理して乗らないってのもあった。
でも、年が明けて暖かくなった4月、初めてタカホン主催のツーリングに参加してから、
マスツーの魅力にとりつかれてしまった。
この時は総勢24台、こんなに多くの台数でツーリングするのは初めてだった。
前の方を走っていると、Rの大きなゆるいコーナーを走る時バックミラーに映る後続車を見ると、1台ずつ順番に車体を傾けて…、ナントも言えない爽快感が残った。
その次の月もツーリング参加しようと思ってたんだけど、日程が会わない。(-_-;)
でも、行きたい…。
思いきって自分でツーリング企画して、タカホンてんちょうに参加者を呼び掛けてもらった。
行き先は寸又峡。
高速、ワインディング、観光スポットを織りまぜたかなり練り上げたコース。
誰も参加してくれなかったらヤンピだなって思ってた。
でも、4人も付き合ってくれた。総勢5人になり100円保険を掛けられる人数。(^○^)
250のスクーターに乗ってるヤツの誘いに、集まってくれたのは、
ブラックバード、VX1800、VFR800、CB400SB、こんなに豪華なメンバーが…。
(この日以降このメンバーはボクの大切なツーリング仲間になったのは言うまでもない。)
このツーリングをきっかけに、ダムで塞き止められてた水がセキを切って流れ出したように、心の中のある意味封印してきたバイクへの思いみたいなものがどーっと音をたてて動き始めた感じ。
それ以降毎月1~2回はロングツーリングをするようになった。
4月に初めてマスツー参加したときの走行距離は1500kmそれがもう少しで10000km。
まさかこんなペースで乗るなんて…、購入当初は考えもしなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日、大型免許の申し込みに行ったけど、こんな気持ちにさせてくれたのはForza。
この先大型免許を取ったら、Forzaにはそう長く乗らないと思うけど、バイクの楽しさを再認識させてくれた、本当にありがたい、大切な存在。
もう一枚 半世紀少年顔出し (◎ 。 ◎)
もう少しで1年半。
でも、注文したのは2008年7月19日。
家から一番近い夢店、ホンダドリーム高浜(通称タカホン)で。
マットシルバーのボディー、赤色が入ったシートの限定車が欲しくって…。
3ヶ月間待っちゃいました。
〈納車して初めての土曜日〉 こんちわぁ、顔出しちゃってます。(・。・)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Forzaが来るまでは、2005年6月に【クインキBTL150】ていう
怪しげな台湾製のスクーターをヤフオクで購入し、25年ぶりのリターンをしていた。
〈コイツがクインキBTL150〉Forzaと格が全然違う (;一_一)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
Forza購入の理由は…
1.この世で頑張って半世紀のあいだ生きてきたご褒美。みたいな~。(^-^)
2.クラッチ操作のないスポティーなスクーターが欲しかった。
3.車検がなくて高速道路を走れるバイクが欲しかった。
だいたいこんな感じかな?
乗り始めて半年間は、月に2~3回ホントに近場を流すだけだった。
納車が10月末で寒くなっていく季節だから無理して乗らないってのもあった。
でも、年が明けて暖かくなった4月、初めてタカホン主催のツーリングに参加してから、
マスツーの魅力にとりつかれてしまった。
この時は総勢24台、こんなに多くの台数でツーリングするのは初めてだった。
前の方を走っていると、Rの大きなゆるいコーナーを走る時バックミラーに映る後続車を見ると、1台ずつ順番に車体を傾けて…、ナントも言えない爽快感が残った。
その次の月もツーリング参加しようと思ってたんだけど、日程が会わない。(-_-;)
でも、行きたい…。
思いきって自分でツーリング企画して、タカホンてんちょうに参加者を呼び掛けてもらった。
行き先は寸又峡。
高速、ワインディング、観光スポットを織りまぜたかなり練り上げたコース。
誰も参加してくれなかったらヤンピだなって思ってた。
でも、4人も付き合ってくれた。総勢5人になり100円保険を掛けられる人数。(^○^)
250のスクーターに乗ってるヤツの誘いに、集まってくれたのは、
ブラックバード、VX1800、VFR800、CB400SB、こんなに豪華なメンバーが…。
(この日以降このメンバーはボクの大切なツーリング仲間になったのは言うまでもない。)
このツーリングをきっかけに、ダムで塞き止められてた水がセキを切って流れ出したように、心の中のある意味封印してきたバイクへの思いみたいなものがどーっと音をたてて動き始めた感じ。
それ以降毎月1~2回はロングツーリングをするようになった。
4月に初めてマスツー参加したときの走行距離は1500kmそれがもう少しで10000km。
まさかこんなペースで乗るなんて…、購入当初は考えもしなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日、大型免許の申し込みに行ったけど、こんな気持ちにさせてくれたのはForza。
この先大型免許を取ったら、Forzaにはそう長く乗らないと思うけど、バイクの楽しさを再認識させてくれた、本当にありがたい、大切な存在。
もう一枚 半世紀少年顔出し (◎ 。 ◎)
4台目のバイク CB250RSspecial [history]
アメリカンスタイルのXS250lを持ちつつも、
ヨーロピアンスタイルのCB250RSの限定車を買ってしまった。
XS250に乗ってる時は、アメリカンの雰囲気を出すために、
ヒゲなんかはやしたりしてたけど、
CB250RSに乗り出してからは、サッパリとヒゲをそり、まじめ風なライダーに変身。
安モンだけど、HONDAのウィンドブレーカーも買っちゃったりしました。(^-^)
写真の奥に写っているのは、友人のチャオのGX250
赤と白のカラーリングがキレイでしょう?
ヨーロピアンスタイルのCB250RSの限定車を買ってしまった。
XS250に乗ってる時は、アメリカンの雰囲気を出すために、
ヒゲなんかはやしたりしてたけど、
CB250RSに乗り出してからは、サッパリとヒゲをそり、まじめ風なライダーに変身。
安モンだけど、HONDAのウィンドブレーカーも買っちゃったりしました。(^-^)
写真の奥に写っているのは、友人のチャオのGX250
赤と白のカラーリングがキレイでしょう?
三台目のバイク XS250special [history]
CB125JXのエンジンはすごく良く回った。
気軽に乗れてCB250Tの時よりもたくさん乗ったと思う。
でも、その『たくさん乗った』って言うのがクセモノだった。
乗る機会が増えると、やっぱりもう少し大きなバイクが欲しくなったきちゃった。
ほーんと子供なんだよね。
で、今度はYAMAHAのXS250specialを新車で買った。
初めてのYAMAHA、初めての新車。
そして、初めてのアメリカン。
アメリカンって言っても、ハンドルもさほどアップしていなく、シートもそんなに低
くなく…。
今の様な本格的なものではなかった。
ほぼ同じ時期に、単気筒のSR250と400と500、二気筒のGX250と400があった。
XSはGXの4ストツインのエンジンを流用していた。
当時から個性の強いマニアックなSRは今でも残っているが、GXもXSも時代の波に飲み
込まれて消えてしまったのは少しさびしい気がしちゃいます。
このバイクを選んだ理由は、車検のない250ccということが前提で、車重とスタイリング。
当時HONDAの250ccの主流はホーク、弟が乗っていたがすごく重かった。
そして、スタイリングのことを言えば、どの250ccよりもカッコヨカッタ。
メッキ部品をふんだんにあしらった外装にひかれてしまった。
XS250special サイドにぶら下げたバッグで見えない部分が多いけど…。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
写真にキックペダルが見えるでしょう?
当時(1980年ぐらい)は、キック+セルが主流で、セルだけのバイクはなかった。
で、ボクは殆どキックでエンジンをかけていた。
何故かというと、バッテリー上がりを気にして…。
今では考えられないよね。
今乗ってるForzaは、セルしかなく、オーディオ、NAV、グリップヒーターとかが付いていて、
あと、イモビアラームで常時バッテリーを使っている状態なのに…。
気軽に乗れてCB250Tの時よりもたくさん乗ったと思う。
でも、その『たくさん乗った』って言うのがクセモノだった。
乗る機会が増えると、やっぱりもう少し大きなバイクが欲しくなったきちゃった。
ほーんと子供なんだよね。
で、今度はYAMAHAのXS250specialを新車で買った。
初めてのYAMAHA、初めての新車。
そして、初めてのアメリカン。
アメリカンって言っても、ハンドルもさほどアップしていなく、シートもそんなに低
くなく…。
今の様な本格的なものではなかった。
ほぼ同じ時期に、単気筒のSR250と400と500、二気筒のGX250と400があった。
XSはGXの4ストツインのエンジンを流用していた。
当時から個性の強いマニアックなSRは今でも残っているが、GXもXSも時代の波に飲み
込まれて消えてしまったのは少しさびしい気がしちゃいます。
このバイクを選んだ理由は、車検のない250ccということが前提で、車重とスタイリング。
当時HONDAの250ccの主流はホーク、弟が乗っていたがすごく重かった。
そして、スタイリングのことを言えば、どの250ccよりもカッコヨカッタ。
メッキ部品をふんだんにあしらった外装にひかれてしまった。
XS250special サイドにぶら下げたバッグで見えない部分が多いけど…。
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写真にキックペダルが見えるでしょう?
当時(1980年ぐらい)は、キック+セルが主流で、セルだけのバイクはなかった。
で、ボクは殆どキックでエンジンをかけていた。
何故かというと、バッテリー上がりを気にして…。
今では考えられないよね。
今乗ってるForzaは、セルしかなく、オーディオ、NAV、グリップヒーターとかが付いていて、
あと、イモビアラームで常時バッテリーを使っている状態なのに…。
二台目のバイク CB125JX [history]
【初めてのバイク】からの続きです
↑記事にリンクしてます。
- - - CB250Tから何故かCB125JXに- - -
何故だろう?CB250Tを手放したのは?
もう30年も前のことになるので、記憶が曖昧になってしまってる…。
高校を卒業して、すぐ就職して、クルマの免許を取って、クルマを買って
彼女も、それほどバイクに乗りたいと言わなくなって…。
仕事は出張続きで、バイクに乗ることが少なくなって…。
多分、そんなことが理由となって売っぱらってしまったんだろう。
そうそう、その時出張が多かった。
高卒で会社に入って1年ちょっとしかたっていないヤツなのに、
結構大きなプロジェクトチームに入らせてもらってた。
名古屋を拠点に、明石、千葉、種子島と…。
飛行機や新幹線とかに頻繁に乗れて、出張を楽しんでいたことも関係あるかも…。
・・・・・会社に入って3年、突然退職した。
理由は、家事都合…。
う~ん、家事都合だよなぁ。
オヤジの仕事を手伝うことにした。
オヤジの仕事は『大工』 (・o・)
それまでNロケット地上設備の設計プロジェクトチームで、
毎日忙しく、目先の変化に富んだ毎日だった。
それが急に、時間がゆっくり流れているような感じの仕事に…。
そんなことが理由になったのカモ?また、バイクに乗りたくなった。
自転車、CB250Tを買った『ビークルショップテラダ』っていうお店にちょくちょく顔を出していたら
CB125JXにサイドバックとトップケースが付いた中古車がボクの目を惹いた。
バイクを自由に扱おうと思うんだったら、『ボクの体格なら125ccだろうなぁ』と思い、
また、ツーリングに便利なケース類が付いていたので、即購入した。
CB125JX と ボク
<30年前、若狭の方に行った時の写真①>なぜだか海を写した写真がない(>_<)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
このCB125JXでツーリングしたのは2回だけ。
1回目は、同い年の友人(RD50)と2人で若狭方面に一泊ツー。
CB125JX と RD50 と ボク と トモダチ
<31年前、トモダチと若狭の方に行った時の写真②>
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
そして、2回目は、2歳年下の弟(ホークCB250T)とその友達3人(ホークⅡCB400T、
ホークⅢCB400N、XL250)計5台で和歌山の方に一泊ツーに行った。
下に懐かしい画像を貼っておきました。
この2台は外観がほとんど変わらない。唯一、タンクのラインが違うのが分かるかな?
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
【ホーク CB250T】 【ホークII CB400T】
【ホークIII CB400N】 【XL250S】
XL250Sのタンクのラインが懐かしい ( ゜-゜)
それと、ホークサウンドをまた聴いてみたい。ブブブブブブみたいな…。
でも、今考えるともったいないよなぁ。
殆どツーリングしないんだもん。
今はと言うと、去年の4月以降毎月1回以上ツーリングしてるのに…。
そして、このCB125JXも2回のツーリングをしただけで買い換えてしまう。
↑記事にリンクしてます。
- - - CB250Tから何故かCB125JXに- - -
何故だろう?CB250Tを手放したのは?
もう30年も前のことになるので、記憶が曖昧になってしまってる…。
高校を卒業して、すぐ就職して、クルマの免許を取って、クルマを買って
彼女も、それほどバイクに乗りたいと言わなくなって…。
仕事は出張続きで、バイクに乗ることが少なくなって…。
多分、そんなことが理由となって売っぱらってしまったんだろう。
そうそう、その時出張が多かった。
高卒で会社に入って1年ちょっとしかたっていないヤツなのに、
結構大きなプロジェクトチームに入らせてもらってた。
名古屋を拠点に、明石、千葉、種子島と…。
飛行機や新幹線とかに頻繁に乗れて、出張を楽しんでいたことも関係あるかも…。
・・・・・会社に入って3年、突然退職した。
理由は、家事都合…。
う~ん、家事都合だよなぁ。
オヤジの仕事を手伝うことにした。
オヤジの仕事は『大工』 (・o・)
それまでNロケット地上設備の設計プロジェクトチームで、
毎日忙しく、目先の変化に富んだ毎日だった。
それが急に、時間がゆっくり流れているような感じの仕事に…。
そんなことが理由になったのカモ?また、バイクに乗りたくなった。
自転車、CB250Tを買った『ビークルショップテラダ』っていうお店にちょくちょく顔を出していたら
CB125JXにサイドバックとトップケースが付いた中古車がボクの目を惹いた。
バイクを自由に扱おうと思うんだったら、『ボクの体格なら125ccだろうなぁ』と思い、
また、ツーリングに便利なケース類が付いていたので、即購入した。
CB125JX と ボク
<30年前、若狭の方に行った時の写真①>なぜだか海を写した写真がない(>_<)
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このCB125JXでツーリングしたのは2回だけ。
1回目は、同い年の友人(RD50)と2人で若狭方面に一泊ツー。
CB125JX と RD50 と ボク と トモダチ
<31年前、トモダチと若狭の方に行った時の写真②>
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そして、2回目は、2歳年下の弟(ホークCB250T)とその友達3人(ホークⅡCB400T、
ホークⅢCB400N、XL250)計5台で和歌山の方に一泊ツーに行った。
下に懐かしい画像を貼っておきました。
この2台は外観がほとんど変わらない。唯一、タンクのラインが違うのが分かるかな?
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【ホーク CB250T】 【ホークII CB400T】
【ホークIII CB400N】 【XL250S】
XL250Sのタンクのラインが懐かしい ( ゜-゜)
それと、ホークサウンドをまた聴いてみたい。ブブブブブブみたいな…。
でも、今考えるともったいないよなぁ。
殆どツーリングしないんだもん。
今はと言うと、去年の4月以降毎月1回以上ツーリングしてるのに…。
そして、このCB125JXも2回のツーリングをしただけで買い換えてしまう。
初めてのバイク [history]
初めて買ったバイクは、CB250T。
4ストツイン。
小気味のいい音と、心地いい振動。
セルとキック併用で、当時250ccにしては結構な車格をしていた。
ボクは、ショーエイの白いフルヘル。
彼女は、確かアライの白いフルヘルを自分で用意した。
このバイクでは、ツーリングらしいツーリングには行かずに、
彼女とタンデムで、街中の移動が主だったように思う。
今、当時のことを思い出そうとしてもなかなか思い出せない。
ヘルメットをぶつけあいながら意志の疎通をはかっていたこは覚えてる。
ドリカムの未来予想図のあのフレーズそのもの。
今のような、ブルートゥースインカムとかでの会話は、
夢に描いていたけど、実現不可能な時代だった。
なつかしい、CB250T
4ストツイン。
小気味のいい音と、心地いい振動。
セルとキック併用で、当時250ccにしては結構な車格をしていた。
ボクは、ショーエイの白いフルヘル。
彼女は、確かアライの白いフルヘルを自分で用意した。
このバイクでは、ツーリングらしいツーリングには行かずに、
彼女とタンデムで、街中の移動が主だったように思う。
今、当時のことを思い出そうとしてもなかなか思い出せない。
ヘルメットをぶつけあいながら意志の疎通をはかっていたこは覚えてる。
ドリカムの未来予想図のあのフレーズそのもの。
今のような、ブルートゥースインカムとかでの会話は、
夢に描いていたけど、実現不可能な時代だった。
なつかしい、CB250T
バイクと出会うまで ② [history]
1976年、高校3年生の夏休み、
親の意見も聞かず、相談もせず教習所に申し込みに行った。
ホント生意気な息子だった。
父親は寡黙で、母親はボクが決めたことには
口出ししないのをいいことに、勝手放題。
今思えば、本当に嫌なヤツだった。
---「おとうちゃん、おかあちゃん、ごめんね…。」---
当時は名古屋市天白区に住んでいたので、教習所は『中部日本自動車学校』
厳しいことで有名だったが、自転車で通いたかったのでここにした。
教習車はスズキのGT380 いわゆるGTサンパチ。
2サイクル3気筒のパラパラパラって音を出して軽快に走るやつだった。
↑↑↑↑↑↑↑↑
これがGT380 なつかしぃ(*^。^*)
初めて乗った実地1時間目…
全然うまく乗れなくて、めちゃくちゃ自信をなくしてしまう。
教官に「125で練習するか?」って言われ素直にそれに従う。
そうすると「おぅ、簡単に乗れるじゃん。」
1時間目の終わりにはGT380に乗れるようになった。
2時間目以降楽しくて楽しくて仕方が無い。
1976年9月17日 晴れて免許交付
親の意見も聞かず、相談もせず教習所に申し込みに行った。
ホント生意気な息子だった。
父親は寡黙で、母親はボクが決めたことには
口出ししないのをいいことに、勝手放題。
今思えば、本当に嫌なヤツだった。
---「おとうちゃん、おかあちゃん、ごめんね…。」---
当時は名古屋市天白区に住んでいたので、教習所は『中部日本自動車学校』
厳しいことで有名だったが、自転車で通いたかったのでここにした。
教習車はスズキのGT380 いわゆるGTサンパチ。
2サイクル3気筒のパラパラパラって音を出して軽快に走るやつだった。
↑↑↑↑↑↑↑↑
これがGT380 なつかしぃ(*^。^*)
初めて乗った実地1時間目…
全然うまく乗れなくて、めちゃくちゃ自信をなくしてしまう。
教官に「125で練習するか?」って言われ素直にそれに従う。
そうすると「おぅ、簡単に乗れるじゃん。」
1時間目の終わりにはGT380に乗れるようになった。
2時間目以降楽しくて楽しくて仕方が無い。
1976年9月17日 晴れて免許交付
バイクと出会うまで ① [history]
ボクがバイクに乗り始めたのは、高校3年生の事だ。
1974年、ボクが高校1年生のとき。
沖縄で海洋博が開催されることを知った。
当時のボクは、正義感と清潔感が異常に強く、そしてエコロジーって事に強い関心を持っていた。
そんな感覚が手伝ってか… 海洋博のテーマは『海−その望ましい未来』
このテーマに海洋汚染の無い世界が連想されて、強く惹かれた。
是非とも行ってみたいと思い、バイトをして沖縄に行くために15万円貯めた。
高校2年になった夏1975年7月15日海洋博は開幕した。
夏休みを利用して行こうと、楽しみにしていた。
あれこれと、沖縄のことを勉強していた。
でも、ふと…、家族の中で自分一人だけ行くのが、なんだかすごく申し訳ないような気がしてきた…。
貧乏で、誰一人として飛行機にも乗ったことの無い家族。
お金を貯めることができたのは、大工である親父の手伝いをさせてもらったから…。
つきあっている彼女もいた…。
なんだか、自分のことだけしか考えていない自分が急に嫌なヤツに感じてきて沖縄行きは止めてしまった。
貯めたお金で自転車を買った。
タイヤが細くて軽いワインカラーのロードレーザー。
自分の脚で漕いだ分だけ進む、クルマやバイクのように排気ガスは出さない、まさにエコロジー。
当時は10万円もする自転車を持っている人はそうはいなかった。
そんな勝手なハイステータス気分を味わえ、また見た目の綺麗さもあいまって自転車に夢中になった。
一日に200kmくらい走ることもあった。
とてもじゃない、越えられそうにない峠に挑戦したり…。
そして、少しでも軽くするためにパーツを取り替えたり…。
ともかく自転車を楽しんだ。
自転車を買った時期と彼女とつきあい始めた時期がほとんど同じくらい。
会うのは月に1回だけだった。
つきあい始めて1年くらいたった時、彼女が「バイクに乗りたいから免許取りに行く」って
ボクはエコロジスト、排気ガスを出して走る物には極力乗りたくない。
当然彼女にもそれを望んでいる。
ボクが「バイクなんか危ないからアカンよ」って言うと
「じゃあ、乗せてもらう」って、じっとボクの方を見つめてる。
『えー! (゜ロ゜) もしかして、ボクに免許をとれってぇ?』
しばらくの沈黙の後、「わかった、ボクが免許取って後ろに乗せてあげる」って言っちゃった (◎o◎)!
彼女は真剣な顔で「本当に?いいの?」
ボク「うん」
1974年、ボクが高校1年生のとき。
沖縄で海洋博が開催されることを知った。
当時のボクは、正義感と清潔感が異常に強く、そしてエコロジーって事に強い関心を持っていた。
そんな感覚が手伝ってか… 海洋博のテーマは『海−その望ましい未来』
このテーマに海洋汚染の無い世界が連想されて、強く惹かれた。
是非とも行ってみたいと思い、バイトをして沖縄に行くために15万円貯めた。
高校2年になった夏1975年7月15日海洋博は開幕した。
夏休みを利用して行こうと、楽しみにしていた。
あれこれと、沖縄のことを勉強していた。
でも、ふと…、家族の中で自分一人だけ行くのが、なんだかすごく申し訳ないような気がしてきた…。
貧乏で、誰一人として飛行機にも乗ったことの無い家族。
お金を貯めることができたのは、大工である親父の手伝いをさせてもらったから…。
つきあっている彼女もいた…。
なんだか、自分のことだけしか考えていない自分が急に嫌なヤツに感じてきて沖縄行きは止めてしまった。
貯めたお金で自転車を買った。
タイヤが細くて軽いワインカラーのロードレーザー。
自分の脚で漕いだ分だけ進む、クルマやバイクのように排気ガスは出さない、まさにエコロジー。
当時は10万円もする自転車を持っている人はそうはいなかった。
そんな勝手なハイステータス気分を味わえ、また見た目の綺麗さもあいまって自転車に夢中になった。
一日に200kmくらい走ることもあった。
とてもじゃない、越えられそうにない峠に挑戦したり…。
そして、少しでも軽くするためにパーツを取り替えたり…。
ともかく自転車を楽しんだ。
自転車を買った時期と彼女とつきあい始めた時期がほとんど同じくらい。
会うのは月に1回だけだった。
つきあい始めて1年くらいたった時、彼女が「バイクに乗りたいから免許取りに行く」って
ボクはエコロジスト、排気ガスを出して走る物には極力乗りたくない。
当然彼女にもそれを望んでいる。
ボクが「バイクなんか危ないからアカンよ」って言うと
「じゃあ、乗せてもらう」って、じっとボクの方を見つめてる。
『えー! (゜ロ゜) もしかして、ボクに免許をとれってぇ?』
しばらくの沈黙の後、「わかった、ボクが免許取って後ろに乗せてあげる」って言っちゃった (◎o◎)!
彼女は真剣な顔で「本当に?いいの?」
ボク「うん」